図書館の机で勉強している光景は見慣れたものですが、果たして誰もが、本当に集中して勉強できているのでしょうか?
誰かにとって居心地のいい場所は、ほかの誰かにとっては居心地の悪い場所になりえます。
図書館は、”すべての人のための場所”になりえるのでしょうか。
『まともな家の子供はいない』 にみる図書館
14歳のセキコは言います。
セキコは本当に、図書館の机を占領して勉強している連中が嫌いでもあった。
大学受験や資格試験を控えていると思しきあいつらは、絶体絶命に家で勉強する場所がなくて図書館に来ているのかというとそうではなくて、ただ、対外的に勉強しているというポーズをしているとその気になって勉強するというフィードバック現象ゆえに勉強している意志薄弱な連中だとセキコは見做していた。
奴らが参考書とノートを開いて難しぶっているのを見かけると、その程度のもんならやめちまえ、落ちろ落ちろ、と椅子の背もたれを掴んでがたがたさせながらわめき散らしたくなるのだが、実際にやってしまうと殺されそうなのでやっていない。
まだ命は惜しい。
さすがに。十四歳だから。
津村記久子 2011.「まともな家の子供はいない」(筑摩書房) 本文より
主人公のセキコは、14才の中学3年生です。
仕事もせずに家でぶらぶらしている父親と、それを咎めようともしない母親、要領がよい妹に我慢ならず、特に夏休みの間、家に居場所がありません。
居場所を求めて図書館に行きますが、席を占領する学生や、行き場のない人たちのたまり場になっている図書館にも居心地の悪さを覚えます。
タイトルの通り、この物語には、『まともな家の子供はいない』。
親友のナガヨシのお母さんは重度の買い物依存症で、塾のクラスメイトの大和田くんは、母親に対して納得出来ない思いを抱えています。
英語が抜群にできるのに、突然、学校にも塾にも来なくなったクレ。
そして、仲良くなれそうにないと敬遠していた室田いつみとは、家にいたくないから図書館に通っているという共通点から、ちょっとした蜜月を過ごします。
みんな、家族の中に人には言えない問題を抱えています。
『まともな家の子供はいない』 感想
14才の思春期。
塾の宿題やその先にある受験。
親を疎ましく思い、自分の家に居心地の悪さを覚える年代ですが、そんなときに、図書館に居場所を求めようとする主人公たちはみな、根が真面目です。
一見、フツーの真面目な、何も問題のない中学生に見えるセキコたちの、ひと夏の冒険ともいえる物語です。
図書館は、無料で誰でも使える施設です。
夏には冷房で涼しく、最新の雑誌を座って読むことも出来ます。
しかし、セキコの視点から描いた図書館は辛辣であり、現実的です。
誰かにとって居心地のいい場所は、一方で、ほかの誰かにとっては居心地の悪い場所となります。
それは図書館とて同じで、「図書館はすべての人にとっての居場所」なんて言ってしまうのはとても傲慢なことかもしれません。
果たしてセキコは、家や図書館に居場所を見つけられるのでしょうか。
もう一篇収録された「サバイブ」には、「まともな家の子供はいない」でセキコと図書館で仲良くなる室田いつみが主人公となって展開されています。
「まともな家…」では明るみにならなかった室田の家庭内が描かれていますが、初出は「サバイブ」が2006年で、「まともな家の子供はいない」(2009年)のほうが後になります。
親の不倫や離婚の積み重ねで家庭が崩壊していく様子が描かれていますが、すべて大人の我儘で、子供たちには何の罪もありません。
「サバイブ」をベースにテーマをより深く掘り下げて「まともな家の子供はいない」を書いたのかもしれません。
それを知って読むとまた、違った面白さがあります。
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